桜が散る前に花見したい。ナガです。
前回は自分と妹達がなぜ貧困の連鎖を繋がなかったのか振り返ってみました。
その結果、私たち兄妹に次の7つの共通点が見つかりました。
①危機感があった
②助けを求めた
③助けてくれる人がいた
④諦めなかった
⑤地頭は悪くなかった
⑥変化に強かった
⑦環境が最低限は整っていた
そして前回の結論としては、「自分の人生に対してオーナーシップを発揮する」ことが重要としました。
今回は、今まさに貧困の渦中にいる子ども達に再現性のある対処法を提案できないか考えてみます。
①危機感はあるか?
何かしら「このままではやばい」と認識しているかどうかです。危機感がなければ現状に満足しているか、諦めているということになります。
まず現状に満足しているパターンですが、これは問題ありません。どんな状況であっても本人が満足ならそれでOKです。他人がどうこう言うのは間違っていると思います。
ただ現在の断面だけで判断してはいけません。このまま将来を迎えたらどうなるか、それを踏まえても満足なのかの確認が必要です。
経験が浅い子どもは自分でシミュレーションできないでしょうから、誰かしら寄り添ってあげる必要があります。
次に諦めているパターンです。諦めの状態から立ち直った経験がある私としては、是非とも大人が寄り添ってあげてほしいと思います。
目の前のことに精一杯で、心を閉ざしていることもあるでしょう。これを無理やりこじ開けるのではなく、押し付けがましく恩を売るでもなく、値踏みするでもなく。ただ近くに話せる大人がいることに価値があると考えます。世の中全部毒じゃないと思わせる存在が必要です。
諦めることを辞められたなら何かしらやりたいことが見えてくるはずです。やりたいことに辿り着くまでの道のりに気づいたなら、このままではいけないと危機感を持つでしょう。
②助けを求めたか?
「これが難しい」と言う人はとても多い印象です。大人にも多い。今一緒に仕事してる人もそうです。
プライドか責任感か、それぞれ理由はあるんでしょうが、助けを求められないのはかなりまずいです。
自分の中に問題を抱え込んでしまいます。いつか消化不良を起こした時に、どんどん問題が溜まっていきます。発生から時間が経つと余計に助けを求め辛くなります。そしていつかキャパオーバーして爆発します。
爆発すると周りに迷惑を掛けたり、叱られたり、呆れられたりして、また他人に相談することへの苦手意識を募らせるでしょう。
普段から助けを求めることが大切です。そんな負担になることできないなんて仰いますが、そもそも助けを求めることが相手の負担になるという発想が良くない。
どうしても助けを求められないという人。まずは積極的に誰かを助けてみるべきです。力になれた暁には"自己効力感"を得られるでしょう。
つまりあなたが誰かに助けを求める時、相手は自己効力感を手に入れるチャンスを得ます。迷惑にならないよう早めに(迷惑になる程寝かせてからはNG)、適切な相手を見極めて持ち込む相談なら、頼られる側は嬉しいものです。
というのは大人向けです。諦めた子どもに、助けを求める重要性を分かってもらうのは難しそうですね。
なぜ私は子どもの頃に助けを求めることができたのでしょう。そもそも諦めきっていた私は助けを求めたのでしょうか。
よくよく考えると、頼れる大人達には日常会話の中で状況を逐一共有しており、助けを求めたという自覚はなく、自然と助けられていました。これだ。
ここでも頼れる大人が必要だというところに行き着きました。
③助けてくれる人はいるか?
助けを求めても、それに応えてくれる人がいなければ意味がありません。
まずは親、兄弟、親戚に頼れる人がいるか考えます。頼れる人というより頼りたいと思える人が正しいかもしれません。
ただし、個人的には思春期は身内に相談しづらかった記憶があります。
そうすると友人、先輩、先生、部活仲間、バイト仲間などが次点の候補でしょうか。
愚痴る先ではなく、助けを求める先です。これまでの候補に思い浮かぶ人が入れば幸運ですね。
どんなアラートを上げるかにもよりますが、自分の弱さを見せてもいいと思える相手にはなかなか出会えません。
もしかすると今の世の中、みんなSNSに向けて吐き出しているのかもしれませんね。
SNSの性質上、完全に自分の情報を晒すわけにもいかないため、これもまたなかなかに難しい選択かもしれません。
だが周りに頼りたいと思う人がいなければインターネットに活路を見出すのはありかもしれません。インターネットを通じて、直接会いに行ける頼りたいと思える人を探すのは大いにアリだと思います。
だが、諦めてる人が自発的にそんな前向きなアクションを取れるだろうか。
やはり日常の中に気にかけてくれる大人がいることがここでも重要になりそうです。
一旦ここまで
①〜③ではいずれも周りに頼れる大人がいるか、に行き着きました。これでは再現性のある対処法とは言えずただの運になりますね。
振り返れば振り返るほどに当時私に向き合ってくれた大人がいたことの大きさを感じます。
次回④〜⑦についてもうすこし考えてみましょう。バイバイ。