お花見できました。ナガです。
なぜか貧困が連鎖しなかった私たち兄妹の共通点をヒントにして、似たような環境にある子ども達に再現性のある提案を出来ないか。その前編が前回でした。今回は後編です。
④諦めなかった
もし正解が分かればそれに向けて一心不乱に邁進すればいいだけの話。だが肝心の正解が分からないのが世の常。頑張って背伸びして正しそうなものを選んでも自分の目指すゴールには繋がっていないことがザラにある。
例えば、自分はこんな客観的評価を受ける位置にいるのかと気が付いた専門学生時代。資格を取れば何か変わるなんて確信があるわけもなく、ただそれしか出来ることが思い付かなかったから、あれこれ受験してよく頑張ったわけです。
また、転職の度に無数の選択肢が現れました。この会社に入社することが自分の目指すゴールに近づく選択になるのか、面接官に聞いた感じはそれらしいが本当にそうなのかは入社してみないと分からない。博打に近いながらも勇気を持って飛び込むしかなかったり。
もっと細かいものも含めるとこういう選択が無数にある。不確実な要素が多すぎる。正直なところ、取得しても期待通りの効果がなかった資格や読んでも役立たなかった書籍もあるし、うわこれ転職ミスったなと思うことだってあったわけです。蛇行に蛇行を重ねています。
だからと言って、もうこれでいいやとリタイアするとそれまで。だから失敗したら軌道修正してまた進むしかない。分からなくても進むしかない。「自分が考える正解」に辿り着くまで「とにかく進み続ける」ことが大切でめっちゃ大変。
失敗に慣れるというか、やってみて違ったら辞めればいいというか、サイコロを振り続けるというか。
私にこれが出来た理由は、悔しさを燃料に変換することに成功したからです。悔しさをバネにしたと言った方が分かりやすいか。
これは専門学校の恩師と当時の恋愛が深く関係しています。このエピソードだけで一話書けるので次回書きます。
端的にいうと「世の中のそこら辺の人と自分に大きな能力差はない」ということに気付き、「それならどうして周りの人がやっていることを自分には出来ない、と思い込んでしまっているのか?」を考え、行動した結果「やってみたら意外と出来るやん。あれもこれも。」となったわけです。そりゃ失敗することもあるけど、トライするメリットの方が大きいと覚醒した。
外的刺激を契機に自分が自分に掛けていた呪縛が解け、少しの成功体験で無敵状態に突入した形です。
これは私が発信したいことの核に近そう。そして再現性ある方法かも。是非とも深掘りしよう。
かつての私と同じ境遇の子どもがいたとして、頼りになる大人が寄り添ったとしても、諦めないマインドを醸成させるのはなかなか難しいと思います。
単に諦めないマインドとは違うか。七転八倒というか、諦めなければ別に失敗してもいいじゃんというか。
①〜③とは少し違うポイントが出てきた。よしよし。進展だ。
⑤地頭は悪くなかった
自分で言うのは少し恥ずかしいんですが、地頭は悪くなかったんです。
学校のテストがどうこうという面で言えば、そりゃ別に良くなかった。まあ悪くもなかった。
ここで言いたい地頭というのはそういうことじゃなくて、物事の本質を見極めてどうアプローチして結果を出すか、というようなことです。
で、これに深く関わったのは読書量と会話量だと確信しています。
私は本を読むのが大好きでした。
小学生の頃は何故か偉人の伝記を読みあさっていたし、中学生の頃は日本と中国の歴史小説が好きだったし、高校生の頃はミステリーとかそういう小説が好きだったように思います。小説ばかりですが今でも月に何冊かの本を読みます。
とにかく何の本でも良くって。様々な人の創作物に触れ続けたのがよかった。楽しく読もうとすれば作品に没入して、登場人物の気持ちになります。現実世界でも同じように、相手の立場で相手の性格で相手の状況なら今私に求められていることはコレだろう。と考えられるようになったのは本のお陰です。
そして会話量。
これに関しては高校時代の友人のT君に感謝です。彼は会話を楽しむことを大切にしていました。毎日湯船でネタを練り、翌日学校で披露してくれます。
これが本当に面白い。どうすれば人に面白いと思ってもらえるか、いくつかコツを教えてもらいました。
一番心に残っているのは、1つのネタを色々な人に話してブラッシュアップしていくんだ。ということでした。
私に面白い話が出来ているかは甚だ怪しいですが、お金がないゆえにアルバイトをするなどで色々な環境に知り合いが出来ていた私は彼の教えを守って、ネタのブラッシュアップに挑みました。
これを契機に人に笑ってもらう気持ちよさを覚えて、人と会話することそのものが好きになりました。延いては多様な属性を持つ人と会話する機会が増えて会話の経験値を稼ぐことができました。
結果を求められた時、結果を求めている人がいます。その相手と深く会話することが結果を残すための最短ルートです。自分から仕掛ける会話に慣れていることが非常に有利に働きました。
読書と会話は誰にでも始められることです。
しかも本は図書館で借りれば無料だし、会話なんていくらしても無料です。
かつての自分の境遇と同じ子どもがいたなら、絶対に勧めたいと思います。
⑥変化に強かった
小学校の転校は衝撃的でした。
5年間掛けて構築した交友関係のリセットです。いきなり知らない学校に通って、既に周囲はコミュニティを固め切っている環境なのだから自分だけ圧倒的な外様。
転校前は奥手で引っ込み思案でしたが、転校を機にオープンになりました。たくさん友達が出来て転校後の1年半は楽しく過ごせました。とても不安だったけれど何とかなりました。
上京にしても同じです。
上京前は都会に対する畏怖がありましたが、すぐに慣れるものです。同期と仲良くなり、あっという間に一人暮らしをエンジョイし始めます。とても不安だったけれど何とかなりました。
転職も同じです。
他社で通用するだろうかと心配でしたが、何度転職してもどうにかなっています。 とても不安だったけれど何とかなりました。
今も変化に対する不安は変わりませんが、大抵のことは何とかなると思っています。自分だけではなく他の人も同じだと思います。
中学生の頃、ある曲が流行っていました。
何万歩よりも距離のある一歩
「車輪の唄」 - BUMP OF CHICKEN
曲中では遠方に向かう恋人が電車に乗る一歩を指していますが、変化に向かうための一歩はいつも何万歩よりも距離のある一歩だと勝手に思ってます。
この一歩を何度踏み出したかです。
ちょっと意識高めに言うと「コンフォートゾーンから抜け出せるか」です。
何もしなければ現状維持でひとまず危険は少ない安心領域にステイできます。本人が望むならそれは悪いことではありません。しかしせめて貧困の連鎖から抜け出さないと、避けられない変化が訪れた際に苦しみや悲しみを繰り返す可能性が格段にアップしてしまいます。
繰り返す哀しみを照らす灯をかざせ
「命の別名」 - 中島みゆき
私の大好きなゲームに「宝石なんて見方を変えればただの石ころ」というニュアンスのセリフがあります。
不可避で理不尽な変化に直面したとしても、見方を変えれば通常は得難い、もしかすると何百万歩よりも距離のある貴重な一歩を踏み出す経験だと捉えることも出来るんじゃないか、と。
本当に耐え難いことを除いては、苦難に晒されてもほんのちょびっとは良い面もあるかもしれないね、と思ったりもするわけです。
同じ困難を経験していない第三者が分かったような口はきけませんが、マインドチェンジの可能性を探る提案はできるかもしれませんね。
⑦環境が最低限は整っていた
子どもは直接的な被害を被っていたとしても自身主導で環境改善は難しいので、基本的には難が去るのを待つか、逃げ出すことしかできません。
待ったとていつ終わるかわからないし、逃げ出すのだって茨の道です。
私は待ちました。親が離婚を決意したおかげで一番きつい時期からは何とか脱せました。
渦中にいる間、自分がキツイ時期を過ごしていたことに気付いていなかった、ということには驚きです。自分の中では当たり前だった。誰かに相談しようと考えたこともないし、身内含めて誰かに口外したこともありませんでした。当たり前のことだし家庭内のことを持ち出す必要性を感じていなかった。ただ知らず知らずにストレスが溜まりまくって、色々な歪みが生じたことには間違いありません。
高校生になって親が離婚して、初めてあれはおかしかったんだと気付きましたね。この弊害かは分からないんですが、私あんまり昔の記憶がないんですよね。普通に記憶力がないだけかもしれませんが笑
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるより他ないじゃありませんか
「傾斜」 - 中島みゆき
もし親の決断がなく、ずっと嵐が続いていたならもっと違う人生になっていたと思います。
家庭のことだから外部の関与は難しいでしょう。1つの家庭にしか属していないから、大変でも当たり前のこととして捉えており外部には相談しない。なかなか難しいですね。
子どもを想う親側にアプローチする方が現実的かもしれませんね。
まとめ
随分な長文になってしまいました。
前編も含めてまとめてみます。
「頼れる大人が寄り添えるといいよね」ということがありました。今回の振り返りにより、自分はそんな大人に支えられてここまできたことを改めて理解したため、必ずそんな大人になろうと決意が固まりました。
ただ子どもが属する主なコミュニティは家庭と学校で、基本的には守られるべき存在です。赤の他人の大人が直接接するハードルは非常に高いと言わざるを得ません。
渦中にいる子どもに対して、またはトラウマを抱えた子どもに対しても「マインドチェンジは有効かもしれない」ということがありました。
同様に直接接することは難しいですが、これについては具体どのようにやったのかを自身の経験を深掘りしてみる価値がありそうでした。
「本を読んだり会話したりが下地になる」ということもありましたね。本を読め、アウトプットしろとはよく聞きますが、どうしてこれが必要なのか咀嚼して伝えることには価値があるかもしれません。
なんだかんだ言っても土台になる家庭環境には外部からの関与は難しく出来るとしても親へのアプローチになるよね、ということがありました。ここは取り組みの上では一旦はスコープ外としておきたいですね。
改めて、見えてきたのは子どもは守られるべき存在だから、見ず知らずの大人が直接関係することが難しく、その点を加味すると参入障壁が非常に高いということです。この先、取り組みの方向性を見定めても常に付き纏う問題になりそうです。どうしようかしら。
とは言え、もし思い悩んでいる子どもに関係できたならチカラになるためのコンテンツとして揃えたい内容の輪郭も見えてきました。
焦る必要はないので、次回は悔しさをバネにするまでの流れを振り返ってみます。バイバイ。