今週末は夜勤のナガです。
前回は、これまでに経験しためちゃくちゃ悔しかった思い出を掘り起こし、それで大たぎりできるんじゃなかろうか!たぎってる時まさにエンジンが火を吹いてる状態じゃないだろうか!?という内容でした。
今回は、まずその思い出が何なのか、そして自分のエンジンとして機能するのかを確認していきたいと思います。
人生を通して一番悔しいこと
みなさんパッと思いつきますかね?
悔しいことはたくさん思いつくけど、一番となるとこれだと断定するのは簡単ではないでしょう。
でも私は思いつきます。
「生まれ」です。
次の3点を満たしているところがポイントになります。
①自分でコントロール不可
②人生の難易度に直結する
③人格形成に作用する
誤解なきように補足すると、私は地元は好きだし、家族も好きだし、自分を取り巻いた環境も好きです。今は。
結果論で、今は渦中から脱しているからそう言えます。当時は本当にキツかった。希望も何もあったもんじゃなかった。
繰り返し脳内再生されてたフレーズ。
俺達は咲く場所を選べはしない
「レクイエム」 - the back horn
当時の自分は、世の中も学校も家族にさえも心を許せていなかったと思います。似た境遇の友達と管を巻くことしかできなかった。
荒れた家庭で心を抑圧され、終いには両親が離婚して貧しくなり、夢見る時期に我慢が常だったし、将来を考えることもなかった。
社会が差し伸べる手もあったかもしれないけど、その手を掴むと自分が惨めになるように感じて、ただ毎日を浪費していたように思います。
そもそも未来に希望を感じないから夢なんてないしやりたいこともない、延いては目の前の勉強にも関心がない。
自分の手が届かないところで自分の境遇が決まり、どんどん人生ハードモードになっていく感覚。選択肢のない分岐点。諦め。子どもの無力感。失敗作。
なかなか一言で言えないけど、これが私の一番悔しかったことです。
選んで不仲の両親の顔色を伺う生活を送っていないし、選んで困窮になっていない。それなのに気がつくと社会の最底辺にいる。みんながやるべきことをやってる間に自分は周回遅れ。取り戻す気力は湧かない。未来に希望が持てないから頑張る理由がない。
この経験はエンジンになり得るのか
そんなこんなで高校を卒業する頃には腹の中で化け物を飼ってました。「こんなのおかしくない!?俺は悪くない。世の中終わっている。俺を憐れんだ奴、いつか全員見下してやる。」
他責にしてメンタルのバランスを取っていたのでしょう。周囲に身の上話なんてしなかったし、きっと誰にも憐れまれてなかったと思います。実際には自分を客観視しては自己否定するループに陥っていました。卑屈になってました。
子どもは自分が生まれる場所を選べません。地域も家庭も何もかも。選んでないのにマイナススタート。
おかしくないですか!?なんかやりましたかね私たち。ただ生まれただけですよ。
ようやく人並みに生きられるようになって思うんです。やっぱりおかしかったよな、と。
頼れる大人
その後、一部の頼れる大人が寄り添ってくれました。支援や同情ではなく、あくまで対等な関係で話を聞いてくれた。そして、積もり積もった負の感情を世の中で戦うための武器に変換してくれました。
ドブ沼から這い上がった人間は強いもので、あの悔しさに比べると大抵のことは屁でもありません。とんでもない武器になりました。本当に本当に感謝しています。
こうした経験から、私は「マイナススタートの子どもにとっての頼れる大人でありたい」という馬鹿でかいエンジンを積んでいると思っています。
具体的にどうするのか
エンジンが見えました。次は方向性を決めたいです。この思いをどんな形で表現するのか。
それさえ決まれば後はやるだけです。火を吹かせましょうや。
助走として少しだけアクションをしているので、次回はそこから書いていきますね。
転職したことにも絡んできます。
話が現在に近づいてきた。これからが楽しみ。バイバイ。